トーネダーレン
(Tornedalen, Tornionlaakso)

字義通りには「トルニオ川/トーネ川の谷」の意味で,国境の東側のフィンランド領地域も含む概念だが,現在,とくに言語的文脈では,スウェーデンのノルボッテン州 (Norrbotten) のフィンランド語系地域に,ラップランド州 (Lappland) のイェリバレ (Gällivare/Jällivaara) およびキルナ (Kiruna/Kiruna) を含めた地域を指すのが一般化している。

Gällivare/JällivaaraKiruna/Kiruna がともにサーミ語源の地名であることからもわかるように,トーネダーレン地方の先住民はサーミ人。フィンランド語系移住者の出身は,ハメ地方 (Häme) とカレリア。川の名前 Tornio/Torne は,フィンランド語ハメ方言(西方言)起源とされる。17世紀末から,トーネダレン地方北部のサーミ人の居住地域 (イェリバレ地域など) への農耕民の移住が始まった。

トーネダーレンの地図: [ 1 ] [ 2 ]

トルネダーレン地方とスウェーデンの言語政策

1809フィンランドがロシア領となる。約7000人のフィンランド語系住民が国境の西側に。フィンランド語は教会の言語として引き続き使用される
1842すべての教区に国民学校の設置を義務づけ
1850年代トーネダーレンに学校が設置され始める。授業言語・教科書はフィンランド語。就学率がきわめて低い状態が1860年代になっても続く
1874ハーパランタ (Haparanda/Haaparanta) に教員養成学校が設立される
1880年代ノルボッテン州の学校のスウェーデン語化の開始。理由「ロシアとの国境地域に外国語系住民が居住するのは国防上危険」
1882ハーパランタの教員養成学校の教授言語がスウェーデン語になる
1888授業言語・教科書を完全にスウェーデン語とすることを条件に,政府の費用負担による学校設置が始まる。学校では休み時間のフィンランド語使用まで禁止。
1912ハーパランタの教員養成学校で,科目としてのフィンランド語を廃止
1930年代トーネダーレンのフィンランド語系住民は 30000人,少しフィンランド語を知っている住民は10000人
1957休み時間のフィンランド語使用禁止が解除。図書館のフィンランド語の本の購入を許可。
更新日 2009/08/31