© 2001 Kazuto Matsumura (Japanese translation)

フィンランド史年表

この年表は,フィンランド外務省の広報サイト Virtual Finland に掲載されていた
A Chronology of Finnish History (© 2000 Joe Brady/Virtual Finland) の日本語訳です。
前10万年 ~
後1100年
フィンランドの先史時代。1990年代に行われた考古学的調査の結果,フィンランドには10万年以上前からヒトが住んでいたことが明らかになっている。
後98年 フィンランド人が世界史に最初に登場するのは,ローマの歴史家タキトゥス Tacitus の言う北方民族フェンニ人 Fenni としてである。ただし,実際には,タキトゥスはサーミ人のことを指してフェンニ人といったらしい。
1150年代 スウェーデン国王エーリック Erik と司教ヘンリック Henrik (イングランド出身; Henry) が,フィンランド南西部に向けキリスト教の布教のための遠征 (「十字軍」) を行う
1238/49年 スウェーデン伯爵ビルヤー Birger がフィンランド内陸部のハメ地方 Häme (Tavastia, Tavastland) に向け,第2次十字軍遠征を行う。
1290年 トゥルク Turku (Åbo)大聖堂の建設工事が始まる。
1293年 フィンランド東部のカレリア地方に向けて,クヌトソン Tyrgils Knutsson の指揮の下,スウェーデンの 第3次十字軍遠征が行われる。カトリック教会と東方正教会の支配地域の境界が確定する。
13世紀末期 東に対する守りを固めるため,スウェーデンは,トゥルク,ハメーンリンナ Hämeenlinna (Tavastehus),ヴィープリ Viipuri (Viborg) の3箇所にを築く。
14世紀初期 フィンランドから最初の留学生がフランスのソルボンヌ大学に派遣される。
1323年 スウェーデンとノブゴロド Novgorod の間で Pähkinäsaari (Nöteborg, Schlusselburg) の講和条約 が調印され,フィンランドが二分される。この条約によって 定められた国家間の境界は,同時に宗教,文化の境界ともなる。フィンランド語の話される地域も二分された。
1362年 フィンランドが,スウェーデンの国王の選出に代表を送る権利を認められる。
1397年 デンマーク,ノルウェー,スウェーデンの3王国が,カルマル連合 Kalmar Union を結ぶ。
1475年 スウェーデンの貴族トット Erik Axelsson Tott によって,フィンランド東部のサボ地方 Savo にオラヴィ城 Olavinlinna (Olofsborg) が建設される。
1493年 ドイツの Hartmann Schedel の著した『年代記』 Liber Chronicarum の地図が,印刷されたヨーロッパの地図として初めて,「フィンランド」の名前を記す。
1400年~1500年 フィンランドの中世の石造教会 の多くはこの時期に建造されたもの。
1523年 グスタヴ・ヴァーサ Gustavus Vasa のスウェーデン国王即位とともに,カルマル連合が解体する。
1527年 Västerås の議会で,ルターによる宗教改革が承認され,教会の財産の没収が行われる。
1543年 トゥルクの司教 アグリコラ Mikael Agricola が,最初のフィンランド語の本 『ABCの本』 Abc-kiria を著す。
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1617年 ストルボヴァ Stolbova 条約により,スウェーデンはバルト海の覇者となり,フィンランド湾全域を支配下に治める。
1630年~1643年 三十年戦争で,フィンランドの騎馬兵が奇襲によって大活躍,「ハッカペリテ」 Hakkapelites の異名で名を馳せる。フィンランド騎馬兵の大将 Torsten Stålhandske は,スウェーデンの大国時代のもっとも有名なフィンランド出身の軍人となる。
1640年 スウェーデン女王のクリスティーナ Kristina が,フィンランド最初の大学として,スウェーデン語のオーボ大学 Åbo Akademi をトゥルクに設立する。
[ この Åbo Akademi は,19世紀初めにヘルシンキに移転し,ヘルシンキ大学となる。現在の Åbo Akademi は1918年設立されたもの。 — K.M. ]
1642年 聖書のフィンランド語全訳が完成する。
1700年~1721年 大北方戦争。ロシアが大国として台頭する。1703年,ロシアのピョートル大帝 Peter the Great は,フィンランド湾の東の奥にペテルブルク (Sankt Peterburg) を首都として建設。スウェーデンが衰退する。
1721年 Uusikaupunki (Nystad) 条約により,スウェーデンはフィンランド南東部 および,バルト海沿岸のリボニア Livonia,エストニア Estonia,イングリア Ingria の3州をロシアに割譲する。
[ 「リボニア」 は現在の南エストニアとラトビア,「エストニア」 は現在の北エストニア,「イングリア」 は現在のロシア共和国レニングラード州 — K.M. ]
1747年 スウェーデンが,ヘルシンキ沖合いの島にスヴェアボリ要塞 Sveaborg (「スウェーデン要塞」 の意) の建設を始める。この要塞のフィンランド語名「スオメンリンナ」 Suomenlinna は 「フィンランド要塞」 の意。
1765年 フィンランド出身の聖職者で政治家の Anders Chydenius が,スウェーデン語で 『国民の利益』 を出版し,自由貿易の必要性を説く。アダム・スミスの 『国富論』 が出版されたのは,この11年後。
1807年 ロシアのアレクサンドル一世と結んだフランスのナポレオンは,イギリスを軍事封鎖。ロシアはスウェーデンと同盟関係を結ぼうとする。
1808年~1809年 フィンランドをめぐる戦争で,スウェーデンがロシアに敗北。フィンランドはロシアに割譲され,ロシア皇帝を元首とする大公国となる。フィンランド最初の議会で,自由な農民層,ルーテル派新教,スウェーデン式の法体系と政体など,フィンランド独自の法制度・社会組織の維持が保障される。
1812年 ロシアのいう 「旧領フィンランド」 が大公国と結合される。ヘルシンキ Helsinki (Helsingfors) がフィンランドの首都に制定される。
1828年 フィンランド唯一の大学がトゥルクからヘルシンキに移転される。
1835年 民族叙事詩 『カレワラKalevala の最初の版が レンロート Elias Lönnrot によって編集・出版される。新版が出版されるのは1849年。
[ 『カレワラ』 はふつう1849年版を指し,1835年の版は 『古カレワラ』 と呼ばれる — KM ]
1848年 フィンランド国歌 『わが祖国』 Maamme (Vårt Land) の初演。
1848年 ルーネベリ Johan Ludvig Runeberg の 『ストール旗手の物語』 Fänrik Ståls sägner [ 道徳や責任感をテーマにした詩集 ] の第1巻が出版される。
1853年~1867年 トペリウス Zachris Topelius の歴史小説シリーズ 『外科医物語』 Fältskärns berättelse が出版される。
1860年 フィンランド独自の貨幣として 「フィンランドマルク」 markka が導入される。
1860年代 製材業が盛んになり,製紙業が始まる。
1863年 フィンランドの身分制議会が招集される。皇帝アレクサンドル二世により,フィンランド語に行政の言語としてスウェーデン語と対等の地位を与えるという趣旨の「言語勅令」が発布される。「言語勅令」の法律としての施行猶予期間は20年。
1870年 フィンランド語の最初の散文文学作品である アレクシス・キヴィ Aleksis Kivi の 『七人兄弟』 が出版される。
1878年~1879年 フィンランド出身の地質学者・探検家の ノルデンショルド A. E. Nordenskiöld がユーラシア大陸の北西を回る航路で太平洋に航海する。
1882年 Emma Irene Åström がフィンランド人女性として,初めて大学の学位を取得する。
1899年 ロシア皇帝ニコライ二世によって発せられたいわゆる 「二月宣言」 に対し,フィンランド人は 「フィンランド憲法遵守」 の公約違反であり,フィンランドの自治権の侵害であると反発。以後,1917 年のロシア革命直後のロシアからの独立まで,反ロシア化の風潮が続く。
1900年 パリの万国博で,建築家の Armas LindgrenHerman Geselliusサーリネン Eliel Saarinen が設計し,ガレン=カッレラ Akseli Gallen-Kallela がフレスコ画を制作したフィンランドの展示館が注目を浴びる。この時期は,フィンランドの芸術の黄金時代で, ガレン=カッレラ Gallen-Kallela をはじめとして,Albert EdelfeltEero JärnefeltPekka Halonen らの画家や,急速に国際的知名度を高めつつあった作曲家の シベリウス Jean Sibelius などが輩出した。
1902年 フィンランド人による北アメリカ移住のための旅券申請が2万3千件を超える。1864年に始まり1914年まで,総計32万人以上の フィンランド人が合衆国とカナダに移住した北米移民の波の頂点の年となる。
1906年 フィンランドに平等な普通選挙で選出される国民議会が開設される。フィンランドの女性 は,国政選挙の選挙権・被選挙権において,世界で初めて男性と同等の政治的権利を獲得する。
1917年 ロシアで革命が起こり,フィンランドは12月6日に独立を宣言する。ボルシェビキ党率いるロシアの新政府は,12月31日にフィンランドの独立を承認。
1918年 1月末,将軍 マンネルヘイム C. G. E. Mannerheim の率いるフィンランド政府 (「白軍」 The Whites) は,フィンランド西部のオストロボスニア地方に駐留していたロシア軍を武装解除する。同じ頃,「赤衛軍」 (The Red Guards) と呼ばれた急進派の左派勢力が,ロシア革命に刺激されて,フィンランド南部で政権を掌握する。赤衛軍とフィンランド政府軍の対立は激しい内戦 (「フィンランド独立戦争」) へと発展し,ドイツからの援軍を得た政府軍の勝利に終わる。フィンランドは,ドイツの王子 Friedrich Karl にフィンランド国王即位を申し入れるが,王子はフィンランドを訪問せず,即位を放棄する。
1919年 フィンランドが共和政体に移行し,初代大統領に ストールベリ K. J. Ståhlberg が就任する。
1920年 フィンランドとソビエト・ロシアとの間でタルト和平条約が調印され,フィンランドはロシアから Petsamo 地方を獲得する。フィンランド人の有名な陸上選手パーヴォ・ヌルミ Paavo Nurmi が,アントワープで開かれたオリンピックで,最初の金メダルを獲得する。フィンランドが国際連盟 League of Nations に加盟する。
1921年 オーランド諸島 Åland (Ahvenanmaa) に自治権を与える法律がフィンランド議会で可決される。
1922年 信教の自由,義務教育,兵役の義務に関する法律が施行される。
1924年 パーヴォ・ヌルミが,パリのオリンピックで金メダルを4個獲得する。
1926年 フィンランド初の社会民主党政権が成立する。フィンランド放送協会 YLE が設立される。
1929年~1932年 反共産主義を掲げるラプア運動が支持を拡大するが,クーデター未遂事件以後,非合法活動として禁止される。
1930年 フィンランド共産党が,他国のスパイ団体として非合法化される。
1932年 フィンランドとソ連邦の間で不可侵条約が調印される。
1935年 フィンランドを代表する建築家アールト Alvar Aalto の設計したヴィープリ市 (Viipuri) 図書館が完成する。
1937年~1939年 カヤンデル A. K. Cajander が,進歩党,農村連合,社会民主党からなる連立政権 (「赤土連立政府」) を結成する。
1939年 ソ連邦とドイツの間で,モロトフ=リッベントロプ協定が調印される。協定に附属する秘密の議定書により,フィンランドはソ連邦の勢力圏に含められる。
1939年 フィンランド人作家シッランパー F. E. Sillanpää がノーベル文学賞を受賞する。
1939年~1940年 ソ連軍がフィンランドに侵攻,冬戦争 (30.11.1939 — 13.3.1940) が始まる。マンネルヘイム元帥の率いるフィンランド自衛軍は,数で圧倒的に勝るソ連軍を相手に105日間の持久戦を戦い,「冬戦争の奇跡」 (Miracle of the Winter War) として外国のマスコミに注目される。戦争終結後モスクワで調印された講和条約で,フィンランドは南東部のフィンランド第2の都市ヴィープリを含むヴィープリ県の大部分をソ連邦に割譲する。
1941年~1944年 対ソ連戦争が再開 (「継続戦争」)され,冬戦争で失った領土の奪還を目指すフィンランドはドイツと同盟を結ぶ。フィンランド政府は,フィンランドはドイツと時を同じくしてソ連邦と交戦状態にあるだけで,交戦の理由は共有していないという立場を表明し,ナチズムの国内浸透に対しては拒否の態度を示す。
1944年 7月,フィンランド軍は,ソ連軍の大攻勢を1940年の国境の手前のソ連邦側で食い止める。ソ連軍は南フィンランド占領を断念し,国境線防衛に方針を転換する。
1944年 9月,1940年の国境の回復を主調とする停戦協定がモスクワで調印される。フィンランドは,ニッケル鉱山があり,北極海に面した不凍港をもつ北東部のペッツァモ地方を新たにソ連邦に割譲し,工業製品の形で多額の賠償金を支払うことに合意。割譲された地域 (カレリアとペッツァモ地方) の住民のうち,およそ45万人がフィンランドへの移住を選択。フィンランド国内では,ポルッカラ半島 Porkkala が海軍基地としてソ連邦に貸与される。
1944年~1945年 ラップランド戦争。ソ連邦との講和の条件にしたがい,フィンランドは,ラップランドに駐留する約20万人のドイツ軍を北隣のノルウェーに退去させる。
1944年~1947年 ソ連邦とイギリスの代表によって構成される連合軍の管理委員会がヘルシンキに設置される。共産党が合法化される。ソ連邦は,芬ソ戦争の責任者に対する軍事法廷の設置を要求する。
1945年 ヴィルタネン A. I. Virtanen がノーベル化学賞を受賞。
1945年 トーベ・ヤンソン Tove Jansson のムーミン・シリーズの最初の作品 『ムーミン谷の大洪水』 (The Moomin and the Great Flood) が出版される。
1947年 フィンランドが,パリ講和条約に調印。
1947年 フィンランドは,ソ連邦の意向にそって,マーシャル=プラン受け入れ拒否。
1948年 フィンランドとソ連邦の間で,友好協力・相互援助条約が調印される。
1951年 フィンランド人デザイナー Tapio WirkkalaMilan Triennale でグランプリを受賞,フィンランドのファッション・デザインが世界に進出する道を開く。
1952年 ヘルシンキでオリンピック大会が開催される。
1954年 対ソ戦争をテーマにしたリンナ Väinö Linna の 『無名戦士』 が出版される。
1955年 フィンランドが国際連合と北欧会議 (Nordic Council) に加盟。
1956年 ソ連邦がポルッカラの海軍基地をフィンランドに返還。ケッコネン Urho Kekkonen が大統領に選出される。
1958年 ソ連邦が,フィンランド政府の組織に介入 (いわゆる 「霜夜危機」)。
1961年 フィンランドが,ヨーロッパ自由貿易連合EFTA の準加盟国となる。
1961年 ソ連邦が,フィンランドの大統領選挙に間接介入 (いわゆる 「覚書危機」)。
1967年 フィンランド出身の Ragnar Granit が視覚の生理学的研究でノーベル賞受賞。
1970年 労働時間が週40時間となる。
1971年 A・アールト設計のフィンランディア・ホールがヘルシンキに完成。
1973年 ECと自由貿易協定を締結。
1975年 欧州安全保障協力会議がヘルシンキで開催。
1981年 ケッコネンが25年間務めた大統領職を引退。
1989年 フィンランドがヨーロッパ評議会に加盟。
1991年 ソ連邦が崩壊し,友好協力・相互援助条約が失効・消滅する。
1991年 フィンランドの学生 Linus Torvalds が,コンピュータOS Linux を考案。
1991年~1993年 深刻な経済不況に襲われる。
1992年 EC (現EU) への加盟申請を決定。
1994年 国民投票で,57%の国民がEU (ヨーロッパ連合) 加盟を支持。
1995年 EUに加盟。
1999年 フィンランドは,ヨーロッパの経済・貨幣統合の支持を表明。欧州連合理事会の議長国を務める。
2000年 3月,議会の役割を拡大した新憲法が施行される。
更新日:2009/10/04